メモ帳

「それネタ帳でしょ?」

 

特に仲がいいというわけでもない高校のときの同じクラスの子にある日聞かれた。

 

よく持ち歩いていた小さいスケッチブックのノートで、いろいろメモしていた。どう見ても大したことは書いてない。特に何を書くと決めていたわけでもない。いきなり「ネタ帳か」と問われ、何に使うネタだと思われたのかよくわからず、曖昧にしか返事ができない。でも何かのネタをメモするような立派な人物に思われたのかもしれない。このノートにはもっと大切なことを書かなければいけないのでは。一瞬そう思ったが、書くべき大切なものの判断がつかない私は結局大切そうなことは特に書いていない気がする。

 

中学のときから父にもらったりして使っていて、大学にいくとそのノートが売店に売っていたりして、結局今だに使っている。今だに何のノートだか分からない。分かるのは立派な役目はこのノートには荷が重そうだということぐらいである。「今日やること」(結局その日にはできなくて、一週間くらい同じやることが続く場合が多い。)、図書委員だったときのクラスの本を返してない人リスト、美術館の絵のメモ、聖書の言葉、落書き。私はノートを分けたりするのが苦手で、ひどいときは授業のノートまでそこにとられていたりするので、雑然としすぎていて読み返す気力さえない。

 

このお正月に実家にある私の荷物を捨てるときに、一応残しておいたそれらの何十冊かのノートを捨てることにした。気持ちがあらたまったというわけでもなくただ置く場所がなくなったからである。

 

それに、亡くなった祖父の一言日記や、叔母の若いときの青春日記が私たちに発見され、それこそ(私を含め)親類縁者のネタにされるのを目の当たりにすると、特にとっておく必要がない気がした。(妹に至っては、叔母の日記を暗記して披露している。)そういう意味でのネタ帳にされないためには、ひとまずこれで安心だと思う。