私は朝が苦手である。

だから、朝に対して並々ならない憧れがある。

 

私は時間の管理が苦手である。

だから、時間のことを想像すると、短い時間でもそこに無限の可能性があるような気がしてしまう。あと1時間ある、と言われれば、その1時間で今目前にある全てのことが終わるような気がしてしまう。(しかしそれは間違っているために人に迷惑をかける。)

 

ということで、私はこれまでに半年に一回くらいの割合で、朝早く起きて何かをするという目標を立ててきた。朝早く起きれば、そこには無限の可能性があって、いろいろなことができるはずだ。

 

○ 朝6時に起きて、ジョギングをする。(そうすれば体力もついて、すがすがしい一日が送れるはずだ。)

○ 朝5時に起きて、1時間聖書を読む。(そうすれば、お祈りもできて、尊敬する信仰者のような人生が送れるはずだ。)

○ 朝5時に起きて、7時までに語学を1時間ずつ勉強する。(そうすれば二ヶ国語を習得できるはずだ。)

 

 

など、いろいろ。

 

だから、学生時代から携帯の目覚ましは、大体5時と6時にセットされている。

 

だけど起きたころには、そんな時間に目ざましが鳴ったことなど、深い睡眠状態の私は全く気づいていないので、自分自身はその時間に目ざましをセットしていることなど忘れていた。

 

でも、最近同じ部屋で寝る家族などに「頼むからその時間に目ざましをセットして、他の人を起こすのはやめてほしい。」と言われ、申し訳ないと思い、目ざましを朝早くセットするのをやめた。

 

どうして、あんなにあこがれているのに、朝早く起きられないんだろう。実際に起きられないからなのか、夜寝る時にいろいろやり残したことでも、朝早く起きさえすればすべてできるんだ、という間違った想像もいまだに無くならない。朝の30分は夜の30分の何倍も何かができるというようにどうしても思ってしまう。

 

朝早く起きることができる人を見ると、それだけで私の尊敬の対象になる。「この人は本当に素晴らしい人なんだなー、私とは違うんだな。すごいなー」と無条件に感じてしまう。

 

 

というように、朝に対して憧れのため朝の目標を立てては、ことごとく全く続けれられていない私である。でも夜遅く寝たのに最近4日続けて早起きができて仕事ができた、という奇跡的な事件があったので、遠かった朝にと少し近くなった気がした。