映画とスクワット

2004年の映画「ヴェニスの商人」を見ました。

シェイクスピアの喜劇ですが、19世紀頃にそこで悪者として書かれているユダヤ人に同情的な見方をする解釈が行われるようになったということです。

 

中世のヴェニスでは、ユダヤ人たちはキリスト教徒に差別されて、仕事もあまり選べず、仕方なしに忌み嫌われる金貸しになっていたという前文があり、ユダヤ人の金貸しのシャイロックは、あるキリスト教徒に金を貸し、返却期限に間に合わないとその人の「人肉」を1ポンド切り取る、という証文を交わします。最初は、そんなことにはならないと言っていたキリスト教徒でしたが、最終的にいろいろあって期限に間に合わないかもしれないことになりました。

 

ユダヤ人のシャイロックは、証文通りにその人の肉を切り取ろうとします。

 

回りの人は、慈悲のないひどい奴だ、と言ってシャイロックを罵ります。最後は、登場人物のきれいな女性の一人が有能な裁判官に変装し、結局その人は肉を切り取られずに助かって、内容的には大団円なのですが、シャイロックが可愛そうという気持ちは残ります。

 

映画に描かれていたように、クリスチャンたちのユダヤ人に対する差別はずっと根強くあって、それで本当に苦しい思いをしながら生活していた人がたくさんいたことは事実で、今もどこかでそれは続いているのかもしれません。イエス・キリストを信じていても、歴史はそのクリスチャンと呼ばれる人たちが必ずしもよい結果を生み出してこなかったことを知っています。ガンジーは、聖書は信じることができるけど、クリスチャンの行いを信じることができないということを言っていたと、どこかで読みました。

 

私も毎週教会にいっているけれど、きっとそう言われても仕方がないことがたくさんある気がします、というかすごいあるので、私のことはあんまり考えられたらだめなのですが。「立派な人」になることが、聖書の目標ではないとは思いつつも、そういう歴史を見るとやっぱりなんともいえない気持ちになりました。

 

関係ないですが、「スクワットを300回できるようになるといい」と本に書いてあったので、やってみたら50回くらいで死にそうになり、80回やったところで断念しました。そして今日は筋肉痛がなのですが、階段は手すりにしがみつかないと上れず、その下りにかかる時間といったらすごいです。今日はスクワットは1回とてできません。いつ300回できるようになるんだろうと、遠い気持ちがしています。