字が下手

「字がへたなんですよ。」

という人の、ほとんどの人はそこそこだけど、謙遜でそう言っているにちがいない。その証拠に、その人がいざ字を書いてみれば、

「そんなことないですよ。」

と言ってあげられる。

 

けれど、私の字の下手さは、ほとんどの人がわたしの字をみて言ってくれるのは、

「・・・まあ、大丈夫だよ。」

と、決して「字がへた」ということを否定したものではなく、「(生きていくには支障はないし)大丈夫だよ。」という慰めの言葉である。

 

ほとんど、毎日のように字を書くのに、私の字は変わらない。いつも自分の小学生の頃の字の練習帳を見るかのような気分で、自分の字を見返す。

 

今までは、生きていくのには支障がないと思っていたけれど、もしかしたら、大いにあるのではないだろうか、となんとなく、最近気づき始めた。仕事にしても、字が汚い人に字を書くことをお願いできないし、字で人格を判断されることだって大いにあるだろうし。

今までは、「字は人を表す」と言われても、まあどうでもよかった。でも、私の汚い字を見て判断されうる私の人格が、決して間違ったものではないような気もするので、自分の字をみるとなんだか気分が落ち込んでくる。

 

とりあえず、本屋さんに並んでいる「ペン字練習帳」を買おうか買うまいか、悩むという、新しく本屋さんの立ち読み場所が増えてしまっている。